【障害】わかり合えるって、同じ景色を見たことがあるってこと〜痛みを知る者同士だからこそ育める、やさしさと絆〜

痛みを知る者同士だからこそ、わかり合えるということ…

「障害者同士の結婚ってどうなんだろう?」

「障害者と健常者の結婚ってどうなんだろう?」


これは、ふとしたときに私の頭をよぎる問いです。どんなふたりでも、素敵なカップルはたくさんいます。でも、障害を持つ自分が、今まで生きてきた中で感じてきた孤独や葛藤、その“痛み”を、同じように感じたことがある人とだからこそ、分かち合える瞬間がある気がするんです。

私は聴覚に障害があります。見た目ではわかりにくいし、努力すれば健常者と同じようにふるまうこともできてしまう。だからこそ、人に気づかれないところで傷つくことも多かったし、「がんばらなきゃ」「周りに迷惑をかけちゃダメだ」と、ずっと自分で勝手に意地を張って、生きてきました。

そんな私が、もし、同じように“何か”の生きづらさを抱えてきた人と出会えたら——


たとえば、身体の障害でも、発達特性でも、心の傷でも…。
完全に理解し合えるわけじゃなくても、

「あ、わかるよ」

「自分もそうだったよ」

と言ってもらえたら、それだけで、どれだけ心が救われるんだろう、って思うんです。

「痛みを知っている者同士って、優しくなれる」

そんなふうに感じたこと、ありませんか?


たとえ背景は違っても、つまずいた経験や、そこから立ち上がった強さを持っている人は、人に対して、とてもやさしい。


そして、そのやさしさは、どこか“言葉のいらない共感”として伝わってくる気がします。


私は今、就労移行支援を利用しながら、ひとり親として、子どもたちと日々向き合いっています。正直、大変なことも多いです。

でも、「それでも生きていてよかった」って思えるのは、つながれる人がいるからです。就労移行支援に通う同僚は、形は違うけれど何かしらの事情や傷や“痛み”を抱えて生きている人ばかり。だからこそ、心が寄り添い合えるというか、心の距離がとても近くに感じられるんです。そんな人たちの存在が、今の私にとって、大きな心の支えになっています。



障害の有無だけで人は語れないし、健常者だから、分かり合えないという話でもないです。

ただ、“痛みを知る”という点では、境遇が近い者同士のほうが、言葉にしなくても分かり合える何かがある——そんなふうに感じる今日このごろです。

だから私は、もし将来また誰かと一緒に、同じ道を生きていくことがあれば、その人がどんな痛みを抱えてきたのか、どんな道を歩んできたのかを、ちゃんと知りたいと思っています。そして私自身も、無理に強がらず、「実はこんなことがあってね…」と話せる自分でありたいな、と思うのです。

生きるって、楽しいことばかりじゃない。


でも、

苦しさを知っているからこそ、人にやさしくできる。お互いに、そんな関係性が築けたら、すごくあったかくて、すごく安心できる空間が作れる気がします。そしてそれは、かけがえのない素敵なものだと、私は思います。

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